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2009年3月

2009年3月23日 (月)

トホホな第22回倉敷ツーデーマーチ参加日記

地元の大会でありながらその内容はおろか存在さえ知らなかった倉敷ツーデー マーチに参加する。優等生的な淡々とした体験記ではないトホホな破れかぶ れぶりを書きます。

一週間前に倉敷ツーデーマーチの開催を知る

Time-stamp: "Tue Feb 02 17:57:00 JST 2010"

何気なくインターネット検索していたら倉敷ツーデーマーチにぶつかる。何 の検索がそれにつながったのかはいま思い出してもはっきりしない。運命か 宿命か神の導きかとしか言い様がない。

私は平成十六年七月に急性心筋梗塞で倉敷中央病院に緊急入院する。いわゆ るフーセン治療で冠動脈にステントを入れる。七月二十一日の夕方に入院し 七月二十九日の午後に退院する。

退院のときに地元に掛かり付け医を持つように強く勧められる。普段はそこ で病後を見てもらい、異常があったら中央病院に連絡してもらうというシス テムである。掛かり付け医で四週間分ずつの投薬を受けている。個人の町医 者は医薬分業で処方箋を持って二三軒先の薬局にいく。その薬局の話し上手 な薬剤師さんから健康法として歩くことを強く勧められる。

自宅の周りでも、また職場にほど近い公園でも歩いている人を数多く見掛け る。明らかに脳卒中の病後と思われる不自由な歩きの人もいる。大多数は健 康法として、ダイエットとしての歩きのようである。

歩きを始めなかった。朝七時半すぎに家を出て約十二時間後に帰宅する。歩 く時間帯がない。つくればできるだろうが気分が乗らない。たぶん私の病気 は軽すぎたのである。もっと重症で、あっさり仕事から引退したならせっせ と歩いただろう。

毎日歩くということの鼻先に大勢で歩くウォーキングの楽しみをぶら下げて 励みとする方法に気付かなかった。ピアノやダンスを習う人達には必ず発表 会がある。日頃の練習の成果をステージで観客に披露する。発表会という区 切りをつけて一段上のステップを目指す。

自宅の周りを歩くだけでは励みがない。大勢の同好者と一緒に歩いて発表会 とする。ツーデーマーチは日頃のウォーキングの成果を披露する一大発表会で はないか。そうだ、近隣で開催されるウォーキングにどんどん参加しよう。

考えてみると、私は壮大な勘違いをしたようである。日頃のウォーキングの 成果を発表する場であればこそ、誰もがドタンバリキ(土壇場力)を発揮して 実力以上を出そうとする。そういう人達に対して練習なしの新参者が当日に 飛び入り参加するのは無理である。もっとも他人との競争ではなく自分との 戦いである。ボロボロになりながらも完歩できたことは嬉しい。

倉敷ツーデーマーチの参加体験記とか案内をインターネットで読む。事前申 し込みだけではなく当日参加でもよいとある。会場に行きさえすれば受け付 けてくれる。オーッ、なんと間口の広い大らかなところが素晴らしい。

むかし宮沢賢治が農学校の先生だったころの逸話を思いだす。入学試験の当 日に校門前をウロウロする若者を不審に思った宮沢賢治は声を掛ける。学校 に入りたいが入学試験願書を出してはいないと聞く。宮沢賢治は即座に、そ んな事務手続きは後まわしでよいのだからとにかく試験を受けなさいという。 たぶん若者は守備よく入学したであろう。その昔に聞きかじったうろ覚えの 内容は次のものであったらしい。

来るものこばまず当日参加(大?)歓迎で参加を決める。私は土日勤務もある 仕事をしている。そういうなかで三月十四、十五日のツーデーマーチの日は まったくの連続休日になっている。この機を逃しては歩きの機会はやってこ ない。最初の一歩を踏み出すことで新しい世界に入ることができる。

何処のウォーキング会でも事前受付だけでなくて当日受付はあるらしい。当 日参加が多くなると配布物や記念品が行き渡らないことがあるとの断り書き を入れている場合がある。

いままでまったく知らなかったことに、倉敷ツーデーマーチはウォーキング の世界では国内有数の大きな大会なのである。全国から参加者が集う。そん なことは知らずに飛び込んでしまった。当日朝にもらったガイドブックでそ のことを知る。

倉敷市内で土日勤務しているときに職場の近くを歩く人の群れを何回も見 かけたことがある。それがツーデーマーチとは知らない。人々がゼッケンを付 けていることが記憶に残る。ときおり目にする立て看板の「ツーデーマーチ」っ て何だろう。倉敷ではヘンなものをやっているなと思う。それが全国規模のも のとは知らない。地方で細々(ほそぼそ)とやっているものだろうくらいにしか 考えていない。出会いというものは突然にやってくるものと思う。

ガイドブックによると主催者として倉敷市が最初にある。実行委員会会長は 倉敷市長とある。今回が第二十二回にもかかわらず今迄まったく知らなかっ た。倉敷市内の職場に三十年間を勤めているのにその内容はおろかその存在 すら知らない。職場でも自宅周りでもツーデマーチの話題にでくわしたこと はない。こういうことは地元の者より遠くからやってくる参加者のほうがよ く知っているのかもしれない。

私が住む倉敷市のとなり町には情報が流れない。告知ビラを見たとしても詳 しいことは分からない。こういうときにインターネットは便利である。公式 の告知内容を含むこまごました注意書きから実際の参加体験記まで多くの情 報がある。

インターネットで開催告知を見たときに倉敷市スポーツ振興課に実行委員会 があると知る。民間団体が細々(ほそぼそ)とやっているものではない。

参加前の検索で日本ウォーキング協会の名前をみる。主催はここに違いない と思う。ツーデーマーチの二日目参加を断念して初日体験記を書くにあたっ てガイドブックを丹念に読んで知る。

他所からやって来た者が地元のボランティアを束ねるのは難しい。歩道を歩 くとはいっても車の通行量の少ない市道なら道端を歩く。道路横断には地元 警察の協力もいる。地域の力を総動員しなければならない。そのためには倉 敷市とか岡山県という行政に一枚も二枚も噛んでもらうしかない。国民の健 康増進を図るスポーツ振興は行政の勤めでもある。大会運営の技術的なノウ ハウはウォーキング協会にあるだろうがその実行には行政の力が欠かせない。

無謀にも初回から四十キロに挑戦する

ツーデーマーチに参加しようと思いたったが日頃まったく歩いていない。年 間に二、三回は十キロメートル程度歩いたことはある。とくに足が痛くなる とかはない。何とかなるだろうと気楽に考える。

急性心筋梗塞の病後は全速力で走ることはない。どんなに急いでいても小走 りしかしない。なんとなく控えている。走らない歩きなら何の心配はないと 思う。深くは考えずに最長の四十キロを選ぶ。

このためゴール後に足が痛む悲惨なトラブルを抱え込む。決して失敗ではな い。ともかくも完歩できたことが一番であり筋肉痛なんて些細なことと思う。 致命的な後遺症の残るような怪我をしたのではない。ただ癒えるまでには二、 三日かかるかもしれない。

何事でもそうだか初回に失敗するのは一番よくない。成功体験を重ねてゆく ことで自信がつく。足を進める毎に激痛が走るのを我慢するといった無理は していない。足取りは重いが気力が萎えるほどの痛みはない。ゴールの爽快 感しか頭にない。

後半は同じくらいのペースの女性とか老夫婦二人連れをペースメーカーにす る。次第に離されても間を詰め戻す余裕はない。午前中はペースの遅い人に 連なってはいけないと飛ばしすぎる。それが後半になって苦しむ結果となる。 団子集団にいると鬱陶しいし無理をしがちになる。前後が空きすぎると不安 になる。そこそこの散らばりが楽だが全体的にペースは速い。追い抜かれす ぎては焦る。のんびりと散歩するという雰囲気ではない。日頃のウォーキン グの成果の発表会と考えれば多少の無理は誰でもやっているだろう。

あざやかな色の目立つユニフォームに身を包んだ見るからに屈強そうな歩き 屋的な人に追い抜かれても、あれはプロ(達人という意味合い)だと諦める。 自分より年上に見えると悔しい。しかし抜き返す余力はない。これは修業で あるなと思う。そう、行者である。

私の場合は午前七時スタートで午後四時にゴールする。昼食・休憩に一時間 当てたとして八時間で四十キロを歩く。普通歩きの時速四キロからは二十五 パーセント増しになる。午後五時までにゴールしてくださいの注意書きギリ ギリでも休憩時間を引いたら時速四キロを超える。

雨のなか合羽に自転車でスタート会場にゆく

前日から雨である。午前五時まえに何時ものように新聞配達のバイク音で目 がさめる。雨音がする。風の音もする。大した雨ではないがスタート会場ま で自転車四十分のみちのりに雨具なしとはいかない。百円ショップの使い捨 てビニールカッパをはおる。北風のなかを北方向に進む。辺りは真っ暗でラ イトが点く。六時からの受付開始には会場に着きたい。五時半前頃に出発す る。

会場までは高校時代の三年間通い慣れた道である。朝の暗いうちにそれも 雨の中を急ぐ。雨天のせいもあり会場に着いてもほの暗い。ボランティアの人 達が打ち合わせに集っているなかで大会本部で当日受付の場所を尋ねる。

会場の市役所建物の配置は大体分かる。案内図で指し示された場所はすぐに 了解できる。まったく見知らぬところであったなら大まかな方向を聞いて探 すしかない。これが地元の強みである。そもそもまったく未知の世界に飛び 出すのは勇気がいる。まずは手近なところから始められる環境が整っている ことはラッキーである。

受付で二千円を払い、ガイドブック、コース地図、帽子、ゼッケンなどを受 け取る。そして昼弁当を七百円で申し込む。細々(こまごま)とした手順はイ ンターネット上にある体験記や開催告知ページから仕入れている。こういう 些細な気掛りが解決しないことには参加の方向に気分が動かない。初参加の 決意はインターネット上の情報だけで固まる。その後にpdf版でアップロー ドされている案内ビラをプリントして家族にツーデマーチに行くと告げる。

受付場所は市役所の食堂や売店の前である。早朝にもかかわらず営業してい る。土産物やウォーキングシューズまで売っている。パン、牛乳など食料も ある。午前五時起床後の三十分ほどで自宅を出発している。朝御飯は食べて いない。

午前七時出発の四十キロメートル参加には午前六時すぎに会場に向う。前日 から泊まり込みの人達も朝食に困るかもしれない。そのような人達向けに会 場でも朝食を取れるよう準備することがインターネットの開催予告の「よく あるご質問と答え」にある。

  • よくあるご質問と答え(瀬戸内倉敷ツーデーマーチ)
    http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=2868
    平成21年のページには詳しい案内があったのですが、平成22年はパンフレッ トの内容だけの掲載になっています。

参加者には公式告知には載らない些細な心配事が一杯ある。こういう細かい ことを発信するにインターネットほど便利な手段はない。印刷物にはそこま で書き込めないとか間に合わないとかでも、インターネットなら必要に応じ ていくらでも後から追加できる。上記倉敷市役所のページで気掛りが一気に 解消する。

受付を済ませてからそのまわりの人だかりをウロウロしていると食堂で食べ ている人達がいる。早速中に入る。御飯ものは重すぎる気がしたのであっさ りめのきつねうどんを食べる。ちょっと物足りないが朝食抜きよりはよいと する。

出発式の六時五十分が近づいたのでそちらに向う。ステージがしつらえられ、 かなり明るい照明の中に十人くらいがいる。なにかしゃべっているらしいが 真ん中よりは後ろにいる私達にはまったく聞こえない。近隣に配慮してボ リュームを抑えているのだろうか。予定の七時よりは十五分くらい遅れての 出発となる。今迄こんなに遅れたことはないなという声を聞く。

出発の際にスタートチェックがあるらしいが、どこでチェックがあるのだろ うと気になる。待機の列に並ぶ際にはなにもない。先頭からどんどん出てゆ くのは見えてもチェックを受けている様子がない。待機場所からは死角の場 所にチェックポントがあった。ここでチェックシートに最初のスタンプをも らう。

ツーデーマーチ参加体験記を読む

インターネットに体験記を書くような人達はおそらく歴戦の強者(つわもの) だろう。エライ目に逢ったというような報告はついぞなかった。軽々と歩き 楽しかったという報告ばかりである。だからこそ私は無謀にも初参加から四 十キロに挑戦してしまった。

若い人の体験記のなかに老人にドンドン追い抜かれるとあった。日頃から健 康法として歩いている年寄りは速歩きらしい。五十九歳の私は年寄りに近い が、確かに自分よりは年上と見える人に何回も追い抜かれる。健康法として そこら辺りを歩いている人に比べてツーデーマーチの歩きは格段に速いよう である。

私自身も歩きは遅いほうではないと思っていたが長時間となると持たない。 昼食までの半日はなんとかもった。昼食を済ませてから瀬戸大橋架橋記念館 の中を歩きまわるとき足の変調に気付く。昼食で歩みを止めた途端に疲労が 吹き出したように思える。立ったり座ったりに足がカクカクする。足が痛い。

平地を歩くに痛さはないのでゴールに向けて出発する。その人のペース次第 で思いおもいに出発してゆく。向かう先は鷲羽山(わしゅうざん)という山だ から当然に登りがある。坂道を永遠と登り続ける。歩み毎に靴裏からズズッ と音がするようで、足の上げ下げが少ない摺り足になっているなと思う。軽 快に歩く人は靴音を出さないように静かな気がする。

登り坂の方を楽に感じ、下り坂は足がカクカクする。靴底でパタンパタンと 音を立てる歩きをしている。これは疲れ切った証拠だなと思う。ウォーキン グ用のシューズではない千円ほどの運動靴である。道具にも気を配るべきと 思う。健脚の人は足に負担を掛けない靴を使っている考える。

ところで筋肉痛を生じるほどの負担を掛けないと筋肉は発達しないと聞く。 そう考えると負担を軽くするのは本末転倒かもしれない。筋肉トレーニング が目的なら鉄ゲタを履いてもよい。目の前にある四十キロを余力を残して歩 き通すという仕事を片付ける。それには脚への負担を軽くする道具を使うべ きだろう。四十キロウォークを達成できなくてはなんにもならない。一番は 本人の達成感、満足感、爽快感がなければ繰り返し続けるよい習慣にならな い。そのためには本人が気にいる道具を使うべきである。次はそれ用の靴に したい。

前を歩く人が見えなくなったら道を失なうのではないかの心配がある。曲が り角には案内看板があったり案内人がいる。看板や案内人の何もない別れ道 に出会ったら迷わずに直進してくださいとある。そうは言っても実際に前を ゆく人が見えないのは不安である。それは背中のバッグに付けるゼッケンで 解消する。街中を普段のウォーキング中の人についていってはいけない。遠 くからでもゼッケンと分かればちゃんとコース上にいると安心できる。幸い なことに前をゆく人が見えないという場面は一度もなかった。参加してみな いことには様子が分からない。

受付時にコース地図をもらったが、それを見て進むべき方向を判断すること はなかった。前も後ろも人が途切れることはない。地図が必要なことは絶対 にないと言い切れると思う。達人は地図で時間配分を考えるのかもしれない。 私はひたすら前ゆく人につかず離れずに歩くだけだった。普通に歩いておれ ばちゃんとゴールできる。知り合いのいない一人歩きでも心配はない。二人 連れで話しながらの歩きもある。大多数はただ一人で黙々と歩いているよう に見える。

体験記を読んでマイカップ持参がよいと知る。湯茶の接待があるのだが、紙 コップを使うとゴミが大量に発生する。参加者の中にはリュックサックに金 属製のコーヒーカップをぶら下げている人がいた。方々のウォーキングに参 加する人に違いない。

弁当ガラも持って帰らなければならないのかと思う。背中のナップザックは 小さくて無理矢理押し込まなければ入らない。昼食場所には何箇所も弁当ガ ラ用のダンボール箱が備えてある。歩きのコース上には人気(ひとけ) の少 ない場所もある。こっそり弁当ガラを処理されては困る(そんな不届きな参 加者がいるはずはないと思うが)。ガイドブックには食事後のゴミは持ち帰 りましょうとある。自前の弁当ガラを捨てるのは憚られる。そうでないかぎ りは弁当ガラの心配はしないでよいらしい。

鷲羽山ビジターセンターへの石段昇り

道路脇から石段を登る。登り口に四、五人の案内人がいる。励まされて登 りはじめる。前のめりになりながら両方の手の平を膝に押し当てヨイショヨイ ショの掛け声と一緒に頑張る。膝を手の平で押すと楽な気がする。足に頑張れ と言い聞かせるようである。

前後の近くに人はいない。はるか後ろに人声はする。前方遠くに一人いる。 その人は石段を登るのが辛いのか階段脇くさむらの斜面を歩いている。その ほうが歩幅を狭められて楽なのかもしれない。真似はできない。足元の不安 定で足首に負担がかかる。悪くすれば転ぶかもしれない。快調に登れたつも りだったが無理をしたらしく足を痛めてしまう。

ビジターセンター前のテント張りチェックポイントでスタンプをもらう。テ レビ局が撮影している。ニュースになるのだろうが、それとは別にツーデー マーチ特集番組があるらしい。疲れ切ったヨレヨレ場面は記録に残らないだ ろう。やはり笑顔で軽々とブイサインという絵柄のほうがウケる。私にはそ の余裕はない。もうくたびれてガタガタの表情しかない。

ここで少し休む。地図を取り出し、これからどう進むのかを見る。ひょっと したら少し引き返すのかと思う。ほとんど山のテッペンであったから。どう もそこを通り過ぎていくらしい。さらに登り坂石段がある。すぐに登りは終 わる。下りになって左膝の異常に気付く。左膝の曲げ伸ばしが痛くて力が入 らない。膝がカクカクとして笑うというのがこれと思う。

右足を支えにして左足を先に一段下に下ろす。それから右足を同じ段に下ろ して揃える。一段ずつしか降りれない。左膝の曲げ伸ばしが痛い。片足で一 段ずつという普段の快調な降り方はできない。それでは左膝に痛みがはしる。 階段を蟹の横歩きのようにヨチヨチとしか進めない。幸い前後に人は少なく 迷惑をかけないし恥しい思いもしない。

ゴールする

15時50分頃にゴールする。最後の「700メートル」の看板にホッとする。平 坦な街中だから痛い足でも何とかなる。途中に横断歩道橋がある。手摺りにつ かまりながら左膝の曲げ伸ばしを少なくして通る。これが最後の関門であった。 ずーっと先に二、三人の案内人が見える。その辺りがゴールのような気がする。 看板はない。そこを折れて奥に入ったところがゴール地点であった。拍手で迎 えられる。チェックシートを取り出しスタンプをもらい完歩証を受け取る。 完歩証には570の番号が振ってある。たぶん570番目のゴールだろう。いったい 何人が参加したのだろうか(朝日新聞社のサイトによると初日の40キロは778 人、20キロは1856人、10キロは1490人、5キロは460人の参加とある)。

テレビクルーが撮影機材とともにウロウロしている。私がゴールした際には 前後に人がまばらな状態であった。テレビの絵柄としては適さない。何人も の多数にまとまった集団がゴールしたときにはマイクの棒と一緒にカメラが ドヤドヤと移動する。なるほどカメラは賑やかで派手な絵柄を狙うものであ るなと思う。苦しげな疲れ切った無惨な表情は放送むけでない。

目の前の駐車場にバスが待機している。あれに乗れば16時半すぎには主会場 の倉敷市役所に戻れる。やっと終った。石段を下りるときは足を引きずる風 にはなったが途中リタイアはない。リタイアしようがしまいが助けを呼ぶ手 段はない。歯を食い縛るという悲壮感はないが長いなぁーとげんなりする。

団塊世代の最終走者になる五十九歳の私はいわゆるケータイを持っていない。 自力で帰宅するしかない。一歩も歩けない状態で道端にうずくまっていたら 通り掛かりの人がしかるべく連絡をとってくれるだろう。なにしろ歩いてい る人数分のケータイが一緒に移動しているといって間違いない。ケータイの 普及はほぼ百パーセントである。ガイドブックによると行列の最後尾には救 護車(場所によっては者?なのか)がつくという。

バスでスタート地点に戻る

16時すぎにバスで出発する。ゴールの近くには観光港の待合室や海産物中心 の土産物屋さんがある。ここで何かを買って帰ればいいなと出発前には思っ ていたが、その気分的そして体力的余裕はない。とにかく早く座りたい。ほ の暖かいお茶をマイカップにもらい、それを持って早々にバスに乗り込む。

ゴール地点からスタート地点まではバスで三十分くらい。休みながら八時間 を歩いた。バスの道とは違い曲りくねったアップダウンのある長いナガーイ みちのりであった。

バスから降りる際は最後まで待つ。まともにサッサと歩ける状態ではない。 手摺りにつかまりながらようやく地面に降りる。トボトボとしか歩けない。 なにしろ足が痛い。はたして自転車に乗れるのだろうか。駐輪場までを長い みちのりと感じる。なんという悲惨であろうか。多くの人々は翌日のウォー キングに備えて足早に宿舎に引き上げるようである。主会場は人もまばらに 静かである。

自転車で家に帰る

バスから降りた直後は歩けない。座席に座っていた間に筋肉痛が酷くなる。 歩幅十センチほどのヨチヨチ歩きの悲惨になる。脚の痛みで普段の五十セン チの軽快な歩みにはとても届かない。トボトボと自転車置き場まで歩く。

自転車を跨いで走り出せるだろうかの心配が頭をよぎる。自転車を押して歩 くのはもっと辛い。曲げ伸ばしの辛い左足をペダルに載せて右足で地面を蹴 りながら勢いをつけて車体にかぶさるように右足をヒョイと上げてサドルに 腰掛ける。

いわゆるママチャリではなくハンドルとサドルの間に水平な横棒があるスポー ツタイプの自転車である。あらかじめ車体を跨いでサドルに腰掛けてから走 り始めることもできる。その際は軸足にしている左足をペダルではなく地面 につけて右足を大きくを上げる必要がある。とくに左足が痛いが右足も相当に 疲れている。右足を大きく振り上げられるだろうか。

左足をペダルに載せればペダルと地面の間の距離に助けられて右足の振り上 げが少しばかり楽になる。とりあえず段差のない平坦なところまで自転車を 押してヨロヨロと歩く。意を決して自転車に乗る。オーッ、ノレターッ。最 悪、乗車のときに足がもつれて転んでしまうのではないかの不安があった。 左膝の曲げ伸ばしが痛いがゆっくりなら自転車を漕げる。

途中のアップダウンはないのでなんとか自宅まで帰る。北風が強く追い風に なる。快調に進んでいるときに足漕ぎを止めると次に漕ぎ始めたときに足が 痛い。ほとんど力を入れなくてもよいときでも漕ぎを止めてはいけない。急 加速はできない。なにしろゆっくり。

初日の翌日は記録に専念する

初日に四十キロ歩いて翌日も四十キロに参加するのは軽いとおもっていた。 日頃歩いてない五十九歳には荷が重すぎた。両太股の前側、とくにスボンの両 ポケットの入り口辺り、左膝が痛い。右太股は水平まで持ち上げることができ る。しかし左太股は四十五度くらいで痛みがある。自宅の中でさえ移動に苦労 する。ジッと静かにしておれば何の痛みもない。動かしたりマッサージしたり すると痛い。医者にかかるようなものではないからドクターストップはない。

これを書いているのは胡座(あぐら)をかいてのパソコン打ちである。長時間 にわたって足を動かさないでいると、いざ動こうとすると床面とか台に手を ついてゆっくりと立ち上がらなければ痛みがひどい。階段の上り下りは一歩 ずつの小刻みになる。小刻みでも動かし続けていると痛みが和らぐ。動かす ことで血流がよくなり痛みが少なくなるらしい。ジッとしていると痛くない のだが動かし始めるときに痛い。少しの痛みを我慢して動かしているほうが よいらしい。

これほどの足の痛みは中学生時代の兎跳び以来である。その昔、体育の時間 に、しゃがみこんだ姿勢で両膝がしらに両手の平を置いてピョンピョンと前 に飛んで進む。なんだ軽い軽いとこなしたツケが翌朝におとずれる。和式便 所に座り込む、立ち上がるに激痛が走る。

ツーデマーチの二日目である三月十五日はとてもよい天気である。終日晴れ で風も穏かである。二日目も四十キロ参加の積りだったがそれは夢と消えた。 明日も足に痛みの残ることは間違いない。それでもよい体験をしたと思う。 コリるということはない。来年も参加する、きっと。

地元の新聞に載らないツーデーマーチ

開催初日翌日の日曜日の地元新聞にも、そして休み明け月曜日の新聞にもツー デーマーチの記事は載らない。わが家で購読する地元新聞にはツーデーマー チの記事はまったくない。そういえば地元新聞に開催告知は載らなかったよ うに思う。その気がないから見落しているのだろうか。

ガイドブックによると主催にも協賛にも地元新聞は噛んでいない。朝日新聞 社が主催者に入っているので遠慮しているのかもしれない。今回で第二十二 回にもなるというのに私自身がツーデーマーチの内容を含めてその存在を知 らなかった謎がとけた。まいにち読む新聞に載らない行事にはなかなか気付 かない。

地元新聞社のホームページから倉敷ツーデーマーチを検索してもヒットがな い。

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2009年3月16日 (月)

エクスプローラのフォルダツリーが表示されなくなる

エクスプローラのフォルダツリーが表示されなくなる

インターネットのスピード計測サイトでは最新のadobe flash playerを要 求されることが多い。自宅でもadsl開設により回線が速くなり、windows自体 のアップデートも気軽にできるようになる。そこでインターネットエクスプロー ラの更新をする。

これらの作業後に、ファイラーであるエクスプローラのフォルダツリーが 表示されないトラブルとなる。フォルダツリーの部分が灰色に塗り潰されて右 上角にバツ印があるだけになる。なんとも不恰好になる。右側覧のファイル名 一覧しかない。「フォルダツリー」がないと不便である。

「エクスプローラ」と「フォルダ表示しない」をキーワードにして検索する。 質疑サイトのやり取りにフォルダツリーが表示されないとある。この場合の キーワードとしては「フォルダツリー」が最適だった。検索では何をキーワー ドにするかで検索効率に大差が出る。

対策はマイクロソフトのサイトにあった。インターネットエクスプローラ6 のインストール後にエクスプローラのフォルダツリーが表示されない場合があ るらしい。

http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;ja;832698

インストール時に次のレジストリが正しく更新されなかった場合に、この現 象が発生することが報告されています。

HKEY_CLASSES_ROOT\CLSID\{EFA24E64-B078-11d0-89E4-00C04FC9E26E}\InProcServer32

値の名前: (標準)

Windows 2000 上の Internet Explorer 6 の正しい値: %SystemRoot%\System32\Shdocvw.dll

Windows 2000 上の Internet Explorer 6 の不正な値: %SystemRoot%\System32\Browseui.dll

Windows 98 上の Internet Explorer 6 の正しい値: C:\WINDOWS\SYSTEM\SHDOCVW.DLL

Windows 98 上の Internet Explorer 6 の不正な値: C:\WINDOWS\SYSTEM\BROWSEUI.DLL

レジストリエディタから長ったらしいキーを探すのに一苦労する。不正な 値である「BROWSEUI.DLL」がしっかり登録されている。これを正しい値 「SHDOCVW.DLL」に書き換える。ファイル名では大文字小文字の区別をしない のがms-dosやwindowsの流儀であるが、ここでは指示通りの大文字を使う。レ ジストリエディタを終了した直後にエクスプローラを開くとフォルダツリーが 表示される。どうやっても直さなければと奮闘した後だけに感動してしまう。

Windowsのインストールファイルのcabファイルからexplorer.exeを取り出し て上書きしようかとかレジストリ操作の「窓の手」で直らないだろうか、あ るいはwindowsの修復セットアップかと考える。検索で有効な対処方が見つか りホッとする。

修復セットアップの途中でwindowsのプロダクトアイディーとかプロダクト キーを聞かれることはないだろう。これらはレジストリに記録されている。も しものときのために予め読み出しておくのがよい。修復セットアップには長時 間が掛かるし途中で止ってしまうかもしれない恐怖がある。

マイクロソフトはレジストリを公開したくなかったと聞いたことがある。常 に「最悪windowsが起動しなくなる恐れがある」と注意書きというよりは脅 し文句を書く。ユーザーが自己責任で触って起きた不都合をマイクロソフト のせいにされては困るが本音だろう。この脅し文句が効きすぎているのかユー ザー間の情報にさえも書かれる。

これほど簡単に症状が直ってしまうとレジストリを研究しようという気にな る。かつてレジストリの整理によりwindowsを速くすることを目指したこと がある。体感速度が上がったとは感じなかった。今回該当キーを探す際にレ ジストリの巨大さに驚く。ものすごい情報量である。不要キーの整理は重要 かもしれない。

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2009年3月 7日 (土)

jw_cadで異体字の「たつざき」が入力できない

jw_cadで異体字の「たつざき」が入力できない

小学生が描いた図画の展覧会で作品の下に貼り付ける名札(題名や作者名を入 れる)をつくることになる。文字書きのうまい人なら未記入の名札を何枚もコ ピーして手書きする。私のような金釘流の文字を人目にさらすのは恥かしい。 そこでパソコンに頼る。

ワープロソフトとか表計算ソフトなら少しは慣れているが名札のサイズを決め るのが難しい。紙に印刷した名札の原型の大きさを再現しようとする。これは 面倒なので少しは使ったことのあるcadソフトを持ち出す。滅多に使わないキャ ドの市販ソフトは持っていない。フィリーウェアのjw_cadを使う。フリーのキャ ドソフトは色々あるがユーザーの多さ、本屋さんでソフトの解説書を売ってい るとなるとjw_cadに落ち着く。

作者名を入力する段になって普通に仮名漢字変換したのでは見つからない漢字 に出会う。「崎」の異体字と呼ばれる漢字で「山」へんの右に上が「立」で下 が「可」の文字である。ただし「立」と「可」の横棒は合体して一本にする。 人名として扱う際には「たつざき」や「たつさき」と呼ばれる。

漢字の画数による姓名判断では一画の違いにより見立てはずいぶん異ることだ ろう。戸籍と住民票での正式は「たつざき」という人もいる。不便なので使い たくはないのだが仕方なく普通の「崎」を使っているかもしれない。どうして も「たつさき」でないと納得しない人もいるだろう。パソコンの中をどう探し ても見つからないなら一文字だけを手書きするしかない。

漢字入力の際に仮名漢字変換の候補には出てこない漢字を入力したい場合が ある。そういう場合は部首名や総画数などから漢字検索する。ここで見つかっ たなら確定ボタンを押すことで本文に貼り付く。atokなら「文字パレット」、 ms-imeなら「imeパッド」から検索する。

ms-imeからimeパッドを起動してフォントをms明朝 (c:\windows\fonts\msmincho.ttc)に指定する。部首から「山」へんを選んで 一覧させると普通の「崎」とともに「たつざき」は確かにある。

ところがatokの文字パレットでは「山」へんからの文字一覧に「たつざき」が 現われない。同じフォントファイル(msmincho.ttc)を使うのであるからには必 ずあるはずなのだが「たつざき」は表示されない。この理由は次にあるらしい。

現用のatokはまさに上記のものだから仕様として諦めるしかない。

  • 漢字Q&A(その2)
    http://www.taishukan.co.jp/kanji/qa02.html
  • 「この人名異体字三兄弟のうち、「はしごダカ」君は、実はIBM外字と呼ばれ る外字セットに含まれていて、Windows系のOSであれば、パソコン上で扱う ことができます。また、「たつサキ」君は、JIS漢字の第3・第4水準に収録 されましたので、いずれ、パソコン上で扱うことができるようになると思われ ます。

    かわいそうなのは「つちヨシ」君です。あわれなことにこの子だけは、パソ コンの世界から閉め出されてしまっているのです!」

「たつざき」を入力するにはms-imeからimeパッドを使えばできる。

jw_cadの文字入力にatokを使おうとするときもう一つの不都合がある。 atokの仮名漢字変換で入力するときは問題ない。漢字が見つからなくて文字パ レットを起動したときが困る。jw_cadの文字入力ボックスがグレイアウトして しまい休止状態になる。文字パレットで漢字を選んで確定ボタンを押してもグ レイアウト状態にあるjww_cadの文字入力ボックスに入らない。試しに文字パ レットの右上角の×印を押すと入る。

jw_cadの入力ボックスに何文字が入力した後で再びatokの文字パレットか ら漢字を入力すると、それまでの文字が消えてしまい最後に入力した一文字し か残らない。仕方ないのでメモ帳(notepad)を中介役にしてのその場しのぎを する。メモ帳にatokの文字パレットから漢字を出力する。そうしたらメモ帳に ある漢字をコピーしてjw_cadの文字入力ボックスにペーストする。

開発時期が違いすぎるwindowsとatokを組み合せていることが原因なのかもし れない。

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